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ジャイナ教と植物の驚愕の関係性|「目に見えない命」まで大切にする徹底ぶり

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宗教における植物の生命観は?

植物が好きな私は、一時期「植物になりたい。天候の移り変わりをただぼんやりと眺めていたい。」と真剣に考えていた。疲れていたのだろうか。

 

昔はきれいなお魚とか真っ白な狼とか、「動物」にカテゴライズされるものに憧れていたのだが……そのうち「風になりたい」なんて、もはや自然現象そのものを目指しだすのかもしれない。

 

植物が好きなため論文も植物関連のものをよく検索している。そこで見つけたのが『ジャイナ教の植物観』というタイトルである。宗教ではどんな風に植物を捉えているのか興味があるので、喜んでpdfを開いた。

 

パッと冒頭部分を拝見して、驚いた。

 

ジャィナ教 は, とりわけ生命 を尊重するという点でよく知られている。空気中の小さな生物も吸い込んで殺してはいけないというので, 口にはマスクをつけたり, 雨期には多くの生きものが誕生し,その時期に種子は発芽するとい う理由で歩 き回るのをやめて, 一ケ所に定住したりするのである。

 

「マスクってそんな用途があったのか!?」と率直な感想が飛び出た。まさか空気中の小さな生き物を気遣ってマスクをつけるとは、ジャイナ教の人々は徹底的に命を大切にしているようである。

 

しかも雨期には、「歩き回って植物の芽を踏みつぶしちゃダメだよね」と、わざわざ定住する。植物のために暮らし方を変えるって……。

 

犬や猫を保護している人や、園芸で鮮やかな花々を愛でている人は、「目に見える生き物」を大切にしている。それは素晴らしいことだと思う。しかしジャイナ教の人々は一歩踏み込んで、微生物や地中の種子など「目に見えない生き物」にまで配慮する姿勢を徹底しているのである。

 

この記事では、ジャイナ教の概要と植物観を中心にまとめた。私は無宗教なので(原始仏教は好きだが)、宗教的にはニュートラルな立場から執筆した。

 

参考文献:渡辺研二(1993)『ジャイナ教の植物観』

 

 

ジャイナ教のキホン

ジャイナ教とは、ジナ教とも呼ばれるインドの宗教だ。マハーヴィーラを祖師とし、徹底した苦行・禁欲主義を特徴としている。ジャイナ=勝者という意味で、特に商人の信者が多かった。

 

インド以外の地にはほとんど伝わっておらず、2500年もの長い時を超えて、インド文化の諸方面に大きな影響を与え続けている。意外にも日本の兵庫県神戸市中央区に寺院があり、名称は『バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院』である。

 

出家者は以下の5つの大禁戒を守らねばならない。

 

大禁戒
  1. 生き物を傷つけない
  2. 嘘を言わない
  3. 他人の物を取らない
  4. 性行為を一切行わない
  5. 何ものも所有しない

 

在家者の場合はもう少し条件が緩和されるが、出家者は戒律をしっかり守るために「裸行派」なんて派閥もある。何も所有してはならないのだから、服も着てはいけないということである。ターザンですら腰布をつけるのに。

 

もっとも重視しているのが①の戒律。「傷つけない」の意味は本当に幅広く適用され、身体的・言語的・心理的な傷害すべてが禁じられている。

 

心の中で人を傷つけることを言ったらアウト。動物に襲われて自衛してもアウトなので、襲われたら「▶逃げる」のコマンドしか選んではいけない。おそろしく厳しい戒律である。

 

ジャイナ教の最古の聖典の至言

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聖典Ayaranga-suttaでは、植物について以下の記述がある。

 

私は言うー

 

これ(植物)も生ずる性質があり, あれ(人間)も生ずる性質がある。これも成長する性質があり, あれも成長するものである。これも心あるものであり, あれも心あるものである。

 

[同様に]これは, 切断されれば枯れてしまい,…栄養を摂取するものであり,…無常(寿 命あ るもの)であり, 恒ならざるものであり,…増大し衰退するものであり,…変化する性質のものである。

 

渡辺研二(1993) 『ジャイナ教の植物館』

 

ゆるく 言い換えると、以下の内容となる。

 

私はこう表現します。

 

植物には生まれる性質があり、人間にも生まれる性質があります。また、お互いに成長する性質もあり、心だってあります。

 

植物も人間も……

 

切断されれば枯れてしまい、栄養を摂り、寿命がある存在で、恒久ではなく、栄えたり衰えたりして、変化する性質のものなんですよ。

 

植物と人間を同列のモノとして対比させている点が、ジャイナ教の生命観をしっかりと表している。特に「植物にも人間のように心がある」と言い切っている点に注目だ。

 

根菜類は小さな生き物も死ぬからアウト

ジャイナ教では「心ある植物」を傷つけないため、肉や魚だけでなく野菜の食用も禁じられている。しかしそれでは食べるものがなくなり死ぬしかないので、野菜のなかでも特に「根菜類」を食べてはいけないことになっている。

 

根菜類とは

 

地中部分が食用される植物の総称。

  • ダイコン
  • ニンジン
  • サトイモ
  • レンコン
  • ニンニク
  • サツマイモ
  • ジャガイモ

なぜ根菜類の食用は禁じられているのだろうか?社会学者のJosephine Reynell氏がジャイナ教徒にインタビューしたところ、このような結果が返って来た。

 

「根っこが引き抜かれると、その根っこのまわりにいる地中の生き物が殺されてしまうからです。」

 

植物自体の命だけでなく、その植物を引っこ抜くことによって死んでしまう小さな生き物のことも考えているわけだ。

 

ただ、Josephine Reynell氏がインタビューしたジャイナ教徒の半数程度は、ジャガイモやダイコンを食用していた。根菜類を食べられないとかなり生活が厳しくなるため、これは致し方無い。

 

水には微生物がいるから飲まないことにした

ここまで意識が及んでしまうと、自分の腸の中の乳酸菌まで労わりそうになる。さらに拍手したあとに「手のひらの微生物が死んだかも」と焦りそうだ。

 

そこまでは徹底しないでしょと思いきや、アメリカの作家トマス・ブルフィンチの著書には、こんな内容の報告書の存在が示されている。

 

イエズス会の伝道師たちがジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水をみせたところ、それをみたジャイナ教徒は飲み水に微生物があふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだ。

ジャイナ教 - Wikipedia

 

水を飲んだら微生物が死ぬからダメだ、と自らの死を選んだということになる。祖師のマハーヴィーラも断食によって死を迎えた。

 

ジャイナ教を深く信仰している人々にとっては、自分の命の大きさと微生物の命の大きさは等しいのではと考えさせられる。

 

極端だけど視野が広がる生命観

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ジャイナ教の戒律は、死ぬレベルで厳しい。ただ、植物にも心を認めるその生命観は、自分の視野を広げる助けとなるのではないか。

 

しかし、日本人はすでに、植物にも心はあるという意識を持っている。植物でもなんでもどんどん擬人化するのだから。『千と千尋の神隠し』には、ダイコンの神様(おしら様)が出てくるくらいだ。

 

実はジャイナ教では、植物だけではなく地・水・火・風・大気などにも霊魂が宿っていると説いている。一度ジャイナ教徒の気分になって世界を見ると、世界中が命で溢れピカピカ輝くであろう。

 

参考文献:渡辺研二(1993) 『ジャイナ教の植物観』