しろラボ

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自己宗教とは|ひとりひとりが聖なるものを見つめること

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宗教は共同的だと思っていた

※「自己宗教」の話題に入る前に、ちょっと長い前置きを。読み飛ばしてもらって構わない。

 

宗教は、「みんなでつくるもの」だと思っていた。より多くの人が神様を崇めるからこそ、その神様は存在し続けられると考えているからだ。

 

例えば、私がある大樹を見て「この樹にはタイジュ様が宿っている」と神様を作ったとする。その時点からタイジュ様は存在し始めるわけだが、私が死んでしまったらタイジュ様も一緒に死んでしまう。

 

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なぜならタイジュ様は、私が大樹を観測して生み出した非物質的な神様だから。体を持たないタイジュ様は、「知られていること」によってのみ人の心の中に生きている。だから「誰にも知られなくなった時」は、タイジュ様が死んでしまう時と等しくなる。

 

せっかく生まれたタイジュ様。永遠に生き続けてもらうためには、他にもタイジュ様を知っている人、信じてくれる人を探さなくてはならない。私以外にタイジュ様を信じてくれる人が増えれば、その人たちが全員いなくなるまで、タイジュ様は存在し続けらるからだ。

 

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こうして信じてくれる人(信者)を増やしていくと、必然的に共同体ができて、宗教が出来上がる。タイジュ教の完成である。きっと森の動物たちの間で、いつまでも信仰され続けることだろう。

 

宗教はこんな風に確立したと考えていたため、冒頭で宗教は、「みんなでつくるもの」だと思っていた……と述べたわけである。

 

なぜ過去形なのかというと、「自己宗教」というフシギな言葉を見つけたからだ。共同的に行うはずの「宗教」に、なにやら個人主義的な「自己」という単語をくっつけている。

 

論文をテキトーに流し読みしていると飛び込んできた単語。理解力の乏しい私の頭のなかではしばらく「ナンデ…ナンデ…」とエコーが鳴り響いていた。

 

少し調べてみると、結構面白い単語で惹きつけられた。「宗教って個人的でもいいよね」と考え直すきっかけになるかもしれない。この記事にまとめておいたので、視野を広げるために役立ててほしい。

 

自己宗教のキホン

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自己宗教という言葉は、1990年代、ポール・ヒーラス氏によってはじめて用いられた。ヒーラス氏についてネットで調べた結果、スピリチュアルや哲学の領域の論文・書籍を執筆している方であることが判明した。

 

この言葉を知るきっかけとなった論文内に、自己宗教に関する説明があったので引用する。

 

それまで宗教をとらえる際に、宗教的組織や教義、出席率といった目に見える量的な計測が可能なものを中心にしていたのに対し、個人化された現代人は、個人のなかでそれぞれの解釈が可能となり権威を必要としなくなっただけで、個々人はそれぞれに宗教性を保っているという考え方である。

引用:『日常生活の中のスピリチュアリティ』

 

言い換えると、以下の意味合いとなる。

それまで人々は、宗教というものを理解する時、「組織」「教え」「出席率」のように目に見えてはっきり数字にできるものに注目していました。

 

しかし個人化が進んだ現代人は、数字に頼ることなく自分自身の心の中で宗教を理解するようになり、従来のように宗教の権威の大きさを必要としなくなっています。

 

そのような背景から生まれた「自己宗教」という言葉は、何か特定の宗教に頼らなくても、ひとりひとりが個人的に宗教性を保っているという意味を持ちます。

 

今までの宗教では「目に見えるもの」に注目されていたのに対し、今では「心の中で感じるもの」に注目されているということか。組織に属さなくても、教えを覚えなくても、自己宗教は自分の心ひとつではじめられるようだ。

 

スピリチュアルと自己宗教

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頭の良い人だと、この説明を見て近年の「スピリチュアルブーム」と関連付けられるとだろう。あれは「宗教っぽいけど宗教じゃない」ことが大きな特徴で、「神様」「宇宙」という宗教的な言葉を用いるにもかかわらず、宗教ではない。

 

ひとりひとりが個人的な神様や宇宙について思いを馳せ、宗教じゃないけど自分よりも大きな存在に祈っている……。こう考えると、「自己宗教」という言葉はスピリチュアルにピッタリだと思える。

 

……ということは、もしかしたらこの記事を読んでいる人のなかにも意図せず「自己宗教」をしている人がいるかもしれない。

 

下に紹介する本を読んで実践しているなら、きっとそうだろう。何か特定の宗教を信仰しているわけではないが、「神様」と「宇宙」に繋がろうとしているからだ。

 

 

 

 

ちなみに私はスピリチュアルに対してニュートラルな立場を保っている。むしろ「ひとりひとりが個人的に宗教性を持つから、大きな組織同士で争いが起こらないのはいいかもな」と考えている。

 

口コミを見ると人生がよりよい道に進んだ人も実在し、それに平和的である。これからもどんどんスピリチュアルブームは発展し、ついには文化に浸透する可能性は高い。

 

個人的に宗教をはじめちゃう?

 

人は心細くなると、神仏にすがりたくなる。そしてそのためには宗教組織があるとスムーズなので、色々と探してみる。あの宗教はどうかな?こっちもいいなぁ!と、ちょっと言い方は悪いが「ショッピング感覚」で色々な神様と出会う。

 

しかし自己宗教なら、そんな風に神様を品定めする必要はない。自分ひとりの心の中で、ひっそりと自分よりも大きな存在を見つめればいいだけなのだから。

 

その存在は、特定の神様ではなくて、ある意味包括的な……全宗教の神様をひっくるめたようなでっかい何か。「神様」でも「宇宙」でも「精霊」でも何でも表現して構わない。

 

自己宗教は「宗教」という単語を含んでいるものの、スピリチュアルに等しいと考えれば正確には宗教ではない。宗教に対してよい印象がない人でも、自分ひとりでひっそりと始められる。

 

不確かさのなかで不安を感じながら生きている人は、いかがわしい宗教に頼るよりも、自分だけの宗教を始めてみてはいかがだろうか?