しろラボ

かしこくなりたくてせのびするブログ

機能価値と存在価値|自分の2種類の価値をゴッチャにしてはいけない

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自分には価値がないと考える人は、価値の種類分けができていません。価値には大きく分けて2種類存在し、人間はついつい一方の価値観だけを重視してしまうのです。

 

以下、2つの価値について説明します。この説明には私なりの解釈がかなり入っているため、本に記載してあった説明も合わせて引用しておきますね。

 

機能価値

「使えるかどうか」。利害関係や損得勘定によって決定され、打算的。能力が重要視される。

存在価値

「調和できるかどうか」。性格や思想によって決定され、感情的。人格が重要視される。血縁関係も影響する。

 

社会学者のフェルディナント・テンニースは共同体を二つに分類しました。

 

目標達成を追求する営利企業に代表されるゲゼルシャフト(機能共同体)と、存続や安心感を追求する地縁・血縁関係に代表されるゲマインシャフト(価値共同体)の二つです。

 

この二つは先の言葉を借りるならそれぞれに「機能価値」と「存在価値」を基盤に存在していると言えるでしょう。

 

『もしアドラーが上司だったら』 p99

 

 おそらくすぐに想像がつくでしょうが、人間が重視しがちなのは「機能価値」です。学歴が低い、子どもがいない、お金がない……だから自分に価値がないのだ、と考えている時、その人は機能価値ばかりを気にしています。

 

ここで重要なのが、次の事実です。

 

機能価値と存在価値は常に比例するとは言えない

 

つまり、機能価値が低かろうが、存在価値が絶対に低いとは言えないのです。

 

言い換えれば、機能価値が高いからと言って、存在価値が高いとは限りません。会社で評価されているのに人には嫌われている……というのが良い例ですね。

 

学歴が低くても、子どもがいなくても、お金がなくても、存在価値が高い人はいます。反対に、学歴が高くて、子どもがいて、お金があっても、存在価値が低い人はいます。

 

機能価値と存在価値をゴッチャに考えてしまうと、このことにはなかなか気が付けません。

 

補足

存在価値が低い……とやむを得ず表現しましたが、すべての生き物は存在価値を有していると考えています。つまり、どんなに存在価値が低かろうが、0にはならないということです。

 

赤ちゃんは機能価値がないけれど

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たとえば赤ちゃんは、自分では何もできないのに高い存在価値があります。

 

それは赤ちゃんが素敵な笑顔やかわいらしい仕草によって、大人を嬉しい気持ちにしてくれるからですね。血が繋がっている父母にとって、赤ちゃんはさらに高い存在価値を持ちます。

 

もしも機能価値だけで赤ちゃんの価値観を測ったら、おそらく「全然価値がない」と結論付けることになります。でもそんなことを思う人は滅多にいません。

 

老人にだって存在価値はある

赤ちゃんとは対照的な存在である老人(高齢者)は、何かと「価値がない」と辛辣な言葉を浴びせられています。本当に悲しいことです。

 

老人の価値を「機能価値」で測っているため、このような言葉が浮上してくるのでしょう。しかし老人にも価値はあります。働いていなくても、子どもがいなくても、お金がなくても、存在価値はあるのです。

 

例えば穏やかな顔をした老人がベンチに座っているだけでも、周りはほっこりした気分になれます。病床でも凛としていれば、この先老いていく人々の支えとなるかもしれません。深い知恵や経験を子供や若者に教えれば、実は機能価値だってあります。

 

また、私は「老人を大切にすればするほど温かな社会になる」と思っています。そういう意味でも、老人は社会を温かくするために必要な存在なのではないでしょうか。

 

老人を「価値がない!」と切り捨てる社会には住みたくないものです。

 

機能価値とともに存在価値を下げないで

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自分には機能価値がない、社会的に役に立っていないとイジけると、ついつい悪いことをして家族や友達に迷惑をかけ、存在価値まで落とそうとしてしまいます。自虐したくなるのですね。

 

機能価値がないからといって、存在価値まで下げることはありません。例えば愛護センターの犬1匹を救い出すだけでも、存在価値は上がることでしょう。その犬にとってあなたは無くてはならない大好きな存在ですから。

 

1匹の犬を救っても機能価値は変わらないかもしれませんが、存在価値は確かに変わるのです。

 

 「私なんていなければいいのに!」と思う前に、自分の存在価値を無条件に認めてしまってください。どうしても難しいなら、何かを育てたり、救ったりしてください。

 

 

アサガオの種を育てる。アサガオにとって大切な存在となる。

 

身寄りのない子犬を引き取る。犬にとって愛する存在となる。

 

ネットでお悩みにアドバイスする。それで人に感謝される。

 

 

そんなことの繰り返しで、きっと「自分には存在価値がある」と考えられるようになってきます。はじめは存在価値があると認めるのが難しいかもしれませんが、価値を否定しないでくださいね。

 

まずは存在価値の土台を作ること

機能価値ばかり重視して存在価値を軽視してきた人は、価値の土台がグラついています。「価値」が逆ピラミッド型に積み上げられてて、いつもフラフラしているイメージですね。

 

ちょっと仕事で失敗しただけで、「自分は死んだほうがいい」なんて極論してしまうのです。存在価値がある人なら、仕事で失敗しても「今度失敗しないためには?」と前向きに考えられることでしょう。

 

自分には価値がないと考えがちな人は、まずは存在価値を実感できるようにしてください。先述しましたが、現段階でも存在価値は0ではありません。生きている、ただそれだけで価値を有しています。きれいごとではなく事実です

 

そのことを信じて、より高い存在価値を持てるように行動を重ねていきましょう。

 

……まずは植物の種でも買ってみませんか?