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その合理性で大丈夫?|ミクロとマクロの合理性が人を混乱させる

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合理性はスケールによって全く異なる

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合理性は物事を捉えるスケールによって変動します。

 

世界的なスケールで見れば明らかにやめた方がよい原発の運営が続いているのは、日本国内の小さなスケールで事態を捉えているためです。前者はマクロに、後者はミクロに原発問題の合理性を追求しているのです。

 

マクロ

巨大であること。

ミクロ

非常に小さいこと。

 

『ナマケモノに意義がある』という本を読んでいてたまたま知った考え方ですが、この考え方によって世の中がこじれている理由がスッと理解できました。

 

言葉の意味まとめ
  • マクロ視点……個人を超えた広い視点。社会や世界全体が視野に入っている。
  • ミクロ視点……個人内の狭い視点。自分に直接的に関係することのみ視野に入れる。
  • マクロ合理性……マクロ視点によって導かれた合理性。
  • ミクロ合理性……ミクロ視点によって導かれた合理性。

 

2つの合理性で捉える原発問題

 原発反対派の人は、

社会全体・世界全体というマクロな視点で問題を捉えています。

 

原発容認派の人は、

電気料金の高騰への危惧、日本経済の発展、六ケ所村の村民の所得といったミクロな視点で問題を捉えています。

 

いずれの視点も、その視点なりに正しく合理性を獲得していると言えるでしょう。そしてどちらも合理的なため、両者はぶつかるわけです。

 

マクロ視点の人からすれば、ミクロ視点の人は「自分勝手すぎる」。ミクロ視点の人からすれば、マクロ視点の人は「理想主義的で現実味がない」

 

マクロ→ミクロ、ミクロ→マクロという視点の移行を図らない限り、お互いに協力し合って解決策を見出すことは不可能だとわかりますね。

 

個人問題とマクミク視点

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マクロな視点とミクロな視点を、合わせて「マクミク視点」としておきましょう。かわいいですね。さて、個人の問題にはどちらの視点が適用されていると思いますか?

 

小さな視点、ミクロ視点です。

 

自分の利益、自分の生活、自分の家族、自分、自分……。「自分の世界」という非常に狭い場所から問題を捉えようとしているため、しばしば了見の狭い、傍から見るとちょっとヘンな結論に至ることがあります。

 

境界性パーソナリティー障害の方はしばしば「二極思考(ゼロか100か思考)」に陥りますが、こちらもミクロ視点に陥っているがゆえではないかなと思います。

 

 

個人問題から抜けるとき、視点が広く変動しています。ミクロからマクロへと視点が変わり、自分の問題を客観的に捉えているのです。

 

個人の問題を個人だけで捉えない

包括的に、大きな視点でとらえる

 

なかなか難しい事なのはわかります。自分で手一杯な時は、身も心も殻に閉じ込めたくなりますよね。しかしマクロ視点に切り替えるのは、問題から脱するためにどうしても必要なことでしょう。

 

力を抜いて空を飛ぶように

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 マクロ視点について考えていると、パッと「鳥瞰図」が浮かびました。これは上空から大地を見下ろしたような図式を指します。

 

ミクロ視点をカゴの中の鳥とすれば

マクロ視点は空を飛ぶ鳥

 

カゴの中にも空にもそれぞれの良さがあります。自分が今どちらの視点を取るべきなのかを考えて、視点を固定することなく柔軟に思考を巡らせましょう。

 

また、人と話し合う時は「合理性には2種類ある」という認識をしっかりと持っておくと、より建設的に話し合えますよ。