しろラボ

かしこくなりたくてせのびするブログ

癒しはなぜ違和感を与えるのか?|求め続けても救われない無限循環を抜け出す方法

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「癒し」という言葉にはどこか違和感を感じていました。言語化はあまりうまくできずモヤモヤだけ続いていましたが、先日ある本を読んでなるほど!と腑に落ちました。

 

「癒し」という言葉は、疲れを取ったのちに元の生活や元の自分に戻っていくというニュアンスをどこかに含んでいて、たとえわずかであっても、「生き物」らしく変化・成熟を進めて変わりたいというベクトルが見えないのです。

泉谷閑示 『普通がいいという病』 p32

 

癒しを求める人は、「心身の疲れ」をどうにかしようとしていますが、「根本的な問題」からは目を背けているように思います。

 

その場しのぎで疲れを取ったら、問題の解決されていない元の生活・元の自分へと帰っていく……。そしてまた疲れたら、「癒し」を求める。

 

問題に向き合って苦しむことよりも、癒しの無限循環をひたすらに巡り続けることを選び取っている。そのことが私に違和感を感じさせたのだと思います。

 

もちろん人には癒しは必要です。なにも癒しそのものを否定しているわけではないのです。お風呂でぬくぬくする、アロマの良い香りを楽しむ、クラシック音楽を聴く……こんな行為も「癒し」に属しており、人の心を健康に保つために一躍買っていますからね。

 

 

 

ただ、ちょっと心配なことがあります。癒しブームによって、「癒しを求め続けても救われない人」「問題から目を背け続ける人」が増えてしまわないかな?と。

 

「癒し」を求め

「根本的な問題」から目を背ける

 

楽な道かもしれません。でも、ぬるま湯に浸かり続けるような、どこか満たされない、でも抜け出すことができない生活になってしまうのではないでしょうか。

 

もしも「癒し」によって心身が回復したら、自分を疲れさせた問題に目を向けて欲しいと願っています。癒され続けて意欲を失い、生きているのかよくわからない人生にならないために。

 

その問題自体は「自分では変えられないもの」だとしても、自分の思考や問題に付随する問題などは変えることができるかもしれませんよ。

 

癒しから問題の解決へ。しょっちゅう癒しを求めなくても済む、もっと生きやすい生活が送れるように祈っています。