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ユニコーンは角が折れると幸せなのか?|「普通がいい」と願うすべての人へ

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ユニコーンの角を持つ人

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「普通に生まれたらこんなに苦労しなかっただろうなぁ」と何度も思い続けてきた身としては、『「普通がいい」という病』という本のタイトルは心惹かれるものでした。特に印象に残った一説を引用します。

 

アメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』には、ひきこもりがちになっているローラという若い女性が登場します。

 

ローラは、ガラスで出来た動物のコレクションを大切にしていて、中でも一番のお気に入りが、ユニコーン(一角獣)です。

 

この劇中で、ローラの大切なユニコーンがアクシデントで床に落ち、その「角」が折れてしまいます。しかし、そこでローラはこう言います。

 

ーでも、いいのよ。神さまがこういう形で祝福して下さったのかもしれない。

ー手術を受けたと思うことにするわ。角の切除、おかげでこの子も変種ってひけ目を感じないですむ。これからは、角のない他の馬たちともっと気楽に付き合えるのよ。

テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』より 松岡和子訳 劇書房

 

ガラスのユニコーンは、この劇では、幼い頃から脚が悪くひきこもりがちで、純粋で壊れやすいローラ自身のメタファー(隠喩)なのです。つまり、変種というひけ目を感じていたのは、ローラ自身なのです。

 

泉谷 閑示 『「普通がいい」という病』 p4-5

 

ユニコーンは光輝く角があればこそ美しい存在です。

 

私たちが「普通になりたい」と願うことは、ユニコーンの角を折り、角のない他の馬たちと同等の存在にするようなもの。己の手で自身の最高の宝を捨てるようなものなのです。

 

確かに、ユニコーンとしてその他大勢の馬の中で生きていくことには苦難が付きまとうかもしれませんね。「普通の馬」として、自分を生きられない虚しさとともに生きていくほうがまだ楽かもしれません。

 

しかしそれで本当に良いのでしょうか?ユニコーンの光輝く角は毒を無毒化する、と言われています。私たちが持って生まれた「角」も、使いようによっては素晴らしい役目を与えられるのではないでしょうか。

 

その他大勢に迎合するために、「角」を切除し、本来はできる役目を放棄する。それは自分を殺すことと同様なのかもしれません。

 

「角」について考える本

『「普通がいい」という病』は、「角」を切除して普通の人間になりたい、と願う人々が自分について深く考えるための一冊であると考えています。

 

不幸印の個性、マイノリティに属する苦しみ、人間が熟成していく過程……。あまりにも内容が濃すぎて、何度も読まなければ本当には理解できないな、と感じさせるほどでした。

 

もしも自分の「角」を忌み嫌い、ユニコーンからごく普通の馬になりたいと願っているのなら、この本を通じて本当に「角」を切除すべきであるのかゆっくり考えてみて下さい。

 

「角」を切除しない道

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私は「角」を切除すべきではないと結論しました。

 

ユニコーンが角を折っても、どこかしら他とは異質なところは残るでしょう。かつて角があった額には、カインの額の印ように傷跡が残り、完全には異質さを消せません。

 

それと同じく、人間が「角」を折っても、結局は「みんなと違う」という思いを拭いされないのです。

 

それなら切除しないほうがよいではありませんか。「角」を生かす道を必死に模索し、足掻いたほうがまだ生き生きと生きられるではありませんか。

 

「角」を切除した人間には、ユニコーンにも普通の馬にもなれない不安定な毎日が待っているかもしれません。

 

著者 泉谷閑示さんのサイト

泉谷閑示