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現実のガイドライン|2種類の現実性をちゃんと理解できていますか?

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2種類の現実

フロイトによれば、現実は2種類ある。

 

心的現実性

心にとっての現実。客観的事実と相違があっても、現実の一種である。

物的現実性

客観的事実に基づく現実。通常「現実」という時は、こちらの意味合いを持つ。

 

私なりに解釈すると、

 

心的現実性=内的世界における現実

物的現実性=外的世界における現実

 

である。

 

現実には2種類存在すると知ることは、自分や他者を理解するうえで非常に重要だ。特に有能なカウンセラーは深く理解している。

 

カウンセラーでなくても、現実性について基本的なことを知っておくと意外なほど役立つ。ここで簡単にまとめておいたので、参考にして頂きたい。

 

心的現実性とは

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内的世界における現実性であり、客観的事実は重要視されない。たとえ作り話であったとしても、本人が現実であると捉えているのならこれは現実となる。

 

心的現実性の例

 

摂食障害でカウンセリングに訪れたネコミ(20)は、「母は私を愛していないんです」とつぶやき、静かに涙を流した。

 

彼女の両親は聡子が中学2年生の頃に離婚しており、母親は生活費を稼ぐために1日中パートで働いていたらしい。

 

母親は家に帰ると、ネコミに何も言わずすぐに眠ってしまう。家事をこなすのは聡子の役目だったと言う。

 

 

母親にもカウンセリングを行うと、「娘に愛情を伝えられなかったのです」と大粒の涙を流した。

 

彼女はネコミのことを深く愛しており、彼女を大学に行かせるための費用を必死に稼いでいたのだと言う。朝から夜遅くまで働き詰めの毎日で、ネコミに構ってあげる余裕すらなかった。

 

「今でも娘を深く愛しています。でも、あの子は心を閉ざしてしまっています。もう私の思いは伝わらないのかもしれません。」

 

母親はそうつぶやくと、あとは黙って涙を流し続けた。

 

 

 この例では、

 

心的現実性=母親に愛されていない

物的現実性=母親に愛されている

 

ということになる。真逆だが、いずれも現実だ。

 

現実性についてきちんと理解しているカウンセラーは、心的現実性と物的現実性が同じであるかどうかを重要視しない。それよりも、そのような現実性を抱くに至った経路を探る。

 

たとえその話が作り話だったとしても、そういう嘘をつかざるを得ない、嘘をつきたくなるような何かがこの人の中に確かにあるということが分かればよいのです。

 

心の問題は、本人がどう感じたかによって決まるのであって、客観的にどうであったかとは関係があるようで無いものなのです。

 

泉谷閑示 『「普通がいい」という病』 p58

 

 

もしも自分が「親に愛されてない」と思っていたとして、誰かに「いや、お母さんは愛しているって言ってるけど?」と言われたら怒りを感じるに違いない。

 

なぜなら、愛されなかったことこそが自分にとっての現実であり、愛されているというもう一つの現実は「嘘」だから。嘘を吐かれたらそりゃあ怒るだろう。

 

 

 

サンタクロースを例に挙げるとより理解が深まる。

 

子どもにとって

心的現実性=サンタクロースはいる

大人にとって

心的現実性=サンタクロースはいない

 

両者は自分の考えこそが現実であると信じている。

 

 大人に向かって子どもが「サンタクロースはいるもん」と言うと、大きく分けて2通りの答えが返ってくる。

 

  • 「サンタクロースが来るの楽しみだねぇ」(子どもの現実性の尊重)
  • 「サンタクロースなんていないから」(大人の現実性の尊重)

 

どちらの答えの方が良いか?普通は前者だろう。自分の現実性にこだわって子供を否定することが正しい、とはとても思えない。

 

また、サンタクロースは絶対にいないということは証明できていないはずだ。「いないこと」を証明するのは「いること」を証明するより難しい。

 

もしかしたら、サンタクロースはどこぞの秘境でひっそり暮らしているかもしれない。

 

物的現実性とは

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外的世界における現実性であり、客観的事実が重要視される。一般的に現実性という時、この物的現実性のことを指している。

 

現実性には物的現実性しか存在しないと考えている人は、「自分にとっての現実」「他者のとっての現実」がうまく分けられないため、相互理解に苦しむ可能性がある。

 

先ほどの母子の例で、自分がネコミだとしよう。おそらく自分にとっての現実に固執して、母親にとっての現実をよく見もせず、否定し続けるのではないか。

 

もしくは、自分が母親だとしよう。もしかしたら、自分はちゃんと愛していた!の一点張りをして、和解の道を閉ざすかもしれない。

 

ここで、現実には2種類あり、自分にとっての現実は相手にとっての現実ではないのだな……と理解した時、はじめて「互いの現実を認めて和解しよう」という気持ちになれる。

 

相手にとっての現実を認めることには、苦痛が伴う時もある。しかしこの過程を踏まなくては、お互いにわかりあえる日は永遠に来ないかもしれない。

 

嫌な思いを持ち続けるよりも、一時の苦しみを選んだ方があとあと楽なことは間違いない。

 

私にとっての現実を生きている

現実性には「心的現実性」と「内的現実性」があると説明した。この2種類の現実性について理解を深めれば、他者との相互理解がもっと容易になるだろう。

 

ただ、現実性の区別はなかなか付きにくいことをキチンと理解しておこう。「これは物的現実性だろう」と思っても、実は心的現実性である可能性は大いにあるから。