しろラボ

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コップの中の宇宙|20年のミジンコ観察で気づいたこと

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横から見るとヒヨコっぽいことで人気のミジンコ。透けるからだがオシャレなミジンコ。そんなミジンコを20年観察した結果わかったこととは? 

 

※こちらは過去記事の再編集です。

 

 

プランクトンの論文を検索した午後

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論文というと、小難しい用語満載で、眩暈のしそうな内容ばかりのイメージだ。私もかつてはそんなイメージを持っており、大学を卒業してからは一切論文に目を通すことがなかった。

 

しかしある日、何を思ったのか論文検索サイトで「プランクトン」と検索をした。本当に何を思っていたのか、私はプランクトンに何を求めていたのか。

 

検索してパッと目に飛び込んだタイトルは、『目的の無いプランクトン観察を通じて気づいたこと』。……私はとんでもない素敵論文を見つけてしまったのではないか。そう、直感した。

 

参考文献:坂田明(2003)『目的の無いプランクトン観察を通じて感じたこと』

 

1匹のミジンコに世界を見る

 

少し食い気味で論文を拝見すると、小見出しには「コップの中に宇宙が見えた」と詩的ワードが。そして内容はゆるい。しかし深い。

 

プランクトンのなかでもミジンコが主役の論文だ。まさかミジンコでこのような詩的・哲学的論文を書いてしまうとは、ある古い詩を思い出さざるを得なかった。

 

一粒の砂の中に世界を見  

 

一輪の花に天国を見るには  

 

君の手のひらで無限を握り  

 

一瞬のうちに永遠をつかめ

 

-ウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』

 

『目的の無いプランクトン観察を通じて感じたこと』では、1匹のミジンコに世界を見た、ということだろう。

 

ミジンコバカ?坂田明氏について

 

この論文を執筆した坂田明氏がミジンコ類を飼育採集するに至った経緯は、「魚の餌にちょうどいいから」。納得の理由だ。ミジンコをはじめとするプランクトンは栄養満点で、魚が元気に育つのだから。

 

普通はミジンコを増やしては魚にやりの繰り返しになるものだが、坂田氏はミジンコのあまりの面白さに20年以上観察を続けられた。勢いあまって『ミジンコ倶楽部』なる組織を結成するほどの情熱を抱いている。

 

『私説 ミジンコ大全』という本まで執筆してしまうのだから、もしかしたらミジンコバカの域に達しているのではないかと推測している。褒め言葉だ。

 

 

論文中にはこんな記述があった。

 

ミジンコ類も,夜,懐中電灯を水槽に当てると光の方に寄っ てきますが,それは光に寄って来ているのであって,私に寄って来ているのではありません.

 

「ばーか」とか, 「可愛いね」 と言っても,今日もミジンコは知らん振りです.ミジンコには 私たちが日常考えている愛は通じません. 

 

大の男が水槽のミジンコに向かって「ばーか」「可愛いね」と言っている場面を想像すると、「あんたこそかわいいよ」と言いたくなる。

 

20年のプランクトン観察の末に

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『目的の無いプランクトン観察を通じて感じたこと』は坂田氏が20年ものプランクトン観察の末に気づいたことをまとめた論文だ。そこから学べることを3つ取り上げた。

 

ミジンコがミジンコをしている

坂田氏がコップの中のミジンコを顕微鏡で覗き込んだ時、感動と共に厳粛な事実に気が付いた。それは、「ミジンコがミジンコをしている」ということ。

 

ミジンコはちゃんとミジンコをしている。

彼らはコップの中を泳ぎ回り、ひとつの小宇宙を形成している。

 

じゃあ人間はどうか。ちゃんと人間をしてるのだろうか?人間として生まれ、育ち、成熟し、そして人間として死ぬ。ちゃんとその流れに乗って生きているのだろうか?

 

ミジンコがミジンコをしている、そのあるがままの姿をアシタカのような曇りなき眼で観察した時、このようなとんでもない命題にぶつかる。

 

ミジンコとニュートラルな命の循環

飼育している魚の水槽にミジンコを投入すると、彼らはどんどん食べられてしまう。ミジンコはきっとおいしいのだろう。人間の世界でもミドリムシ(ユーグレナ)が流行っているくらいなのだから

 

さて、ミジンコはイノセントな存在だ。おそらくは他のミジンコを騙して暴利を貪ったり、人の彼女を略奪したりはしていない。

 

しかし魚はイノセントなミジンコたちを食べ尽くす。このことから、食べられる側は、罪があるから食べられるわけではないとわかる。よって、「お前は他のミジンコを殴ったから、メダカに食べられて罪を償え」という展開は起こり得ない。

 

食べることと食べられることによる命の循環は自然の摂理であり、ニュートラルな行動なのだとわかる。この摂理によって、膨大な数の生命はバランスを保ち続けているのだ。

 

プランクトンがあふれているから夕焼けは美しいのだ

 

-人ー人がミジンコを見たときに,その命の凄さに感動する.

 

感動したとき,人は最も美しい顔をしています.突然の飛躍ですが,「今日の夕焼けが美しいのは,海にプランクトンがあふれ,湖沼にプランクトンがあふれでいるからなのです。」

 

その何も言わない莫大な命の営みは ただ、黙って行われています.もの言わぬプランクトンはいつも立派にプランクトンしています.そのプランクトンの命によって支えられている私たちは,一体何をしているのでしょうか.

 

論文のまとめの部分の記述だ。

 

人が1匹のミジンコの命の凄さに感動した時、それら小さな命にあふれている大自然も一挙に輝きを増す。命が自然を支え、自然が命を支えている大きな世界の図式に心動かされるのだろう。私はブワワッと鳥肌が立ち、エアコンを消した。

 

何も言わず命を営む彼らのことは、こちらが意識しなければいないのと同じだ。意識してもしなくても人間は生きていけるが、立派に生きている彼らに想いを馳せることは、自分の命を振り返ることに繋がる。

 

自分の命を生ききりたいなら、他の命に目を向けること。

 

ミジンコをはじめとするプランクトン類の観察は、こんな大切な知恵を授けてくれるのだ。……自己啓発本を読むのは一旦やめて、ひたすらミジンコ観察するのもいいかもしれない。

 

まとめ

 

この論文は、面白い内容の論文をブログで紹介しようと思うきっかけになった思い入れの深いもの。より多くの人が読んでくれると澄ました顔で飛び上がって喜ぶ。

 

「神様」「宇宙」といった大きすぎるものに目を向けるのではなく、ミジンコのように小さなものに目を向けることもまた、多くの学びをもたらすようだ。煮詰まった時はぜひ、ミジンコ先生に助けを求めてみよう。

 

……自宅に水槽がある人なら、よく見るとケンミジンコがピョンピョンしている。肉眼で目視できるから、ぜひ探してみてほしい。

 

参考文献:坂田明(2003)『目的の無いプランクトン観察を通じて感じたこと』